2012年 11月 21日
第35回 〈社会運動〉研究会 |
少し間があきましたが、第35回を開催します。
今回は沖縄がテーマとなりました。
現在の沖縄の状況とも重ね合わせつつ、討議できればと思います。
ぜひお集まりください。よろしくお願いします。
◆◇◆◇◆◇◆(転載・転送大歓迎)◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
第35回 〈社会運動〉研究会
■日時: 2012年12月11日(火)18:00~21:00頃
■場所: 同志社大学烏丸キャンパス志高館 地下1階 ラウンジ
http://www.doshisha.ac.jp/access/ima_access.html
地下鉄・今出川より徒歩数分、京阪・出町柳駅から徒歩15分。
■内容:
▼「B52の配備をめぐる沖縄の住民運動」
・報告者: 成田千尋(京都大学大学院文学研究科 現代史学専修修士課程)
【概要】
ベトナム戦争中にグアムからベトナムへの渡洋爆撃に使われていたB52の飛来と常駐化は、沖縄住民にベトナム戦争との直接的なつながりを認識させ、復帰運動が反戦平和運動として高揚していくきっかけとなった。先行研究においては、1965年1月の初飛来や、常駐化後の1968年11月に起きたB52墜落爆発事故後と、その後のゼネストの挫折が大衆運動に与えた影響に焦点が集まる一方、飛来の原因や、1970年9月の撤去に至るまでの過程、1972年の復帰後の大量飛来については言及が少ない。また、復帰運動を牽引した復帰協や教職員会、全軍労などの組織が分析対象として扱われることが多い。しかし、今も続く基地問題について考えるためには、地域的な状況の違いについても検討する必要があると考える。本報告では、B52の駐機場に隣接していた嘉手納村に焦点を当て、B52の常駐化が住民運動に与えた影響と、それに対しUSCAR(米国民政府)がどのような干渉を行っていたかを、新聞、沖縄県祖国復帰協議会文書、USCAR渉外局文書などから明らかにしたい。また、B52の常駐化のきっかけとなった、朝鮮半島情勢についても検討したい。
▼「基地のフェンスを越える実践――反戦米兵と沖縄/アメリカの反戦・反基地運動の出会い」
・報告者: 大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
【概要】
本報告は、1960年代末期から1970年代初頭の沖縄において生まれた、沖縄の反戦・反基地運動と反戦米兵、アメリカの反戦活動家たちとのコンフリクトをはらんだ出会いを考察し、「越境」する運動の意義と作用を分析する。1960年代後半、沖縄の復帰運動や反基地闘争は、北ベトナムへの爆撃やB52常駐化、日米両政府による返還交渉の「進展」などを契機として、自らの加害者性を意識した「反戦復帰」路線へと質的転換を遂げたといわれる。ベトナム戦争の激化は、一方で、基地のなかに反戦・反基地の実践と思想を生み出した。それらはフェンスをにじみ出てその外の反基地運動と結びつき始めていた。その中心は黒人兵たちである。沖縄の日本「復帰」への流れが加速化するなかで、密かに進んでいた黒人兵と沖縄人との邂逅と軍事システムへの怒りの共鳴、それを仲介した日本「本土」やアメリカの活動家たち。「反基地」の意味を具体的な社会関係のレベルで問い返し、深め、軍事化に抗したこの越境的な実践には、長く厚い沖縄の運動史において、いかなる意義があるのか、共に考えたい。
■〈社会運動〉研究会
http://socialmove.exblog.jp/
■お問い合わせ
mitsuakick(at)hotmail.com
*************************
今回は沖縄がテーマとなりました。
現在の沖縄の状況とも重ね合わせつつ、討議できればと思います。
ぜひお集まりください。よろしくお願いします。
◆◇◆◇◆◇◆(転載・転送大歓迎)◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
第35回 〈社会運動〉研究会
■日時: 2012年12月11日(火)18:00~21:00頃
■場所: 同志社大学烏丸キャンパス志高館 地下1階 ラウンジ
http://www.doshisha.ac.jp/access/ima_access.html
地下鉄・今出川より徒歩数分、京阪・出町柳駅から徒歩15分。
■内容:
▼「B52の配備をめぐる沖縄の住民運動」
・報告者: 成田千尋(京都大学大学院文学研究科 現代史学専修修士課程)
【概要】
ベトナム戦争中にグアムからベトナムへの渡洋爆撃に使われていたB52の飛来と常駐化は、沖縄住民にベトナム戦争との直接的なつながりを認識させ、復帰運動が反戦平和運動として高揚していくきっかけとなった。先行研究においては、1965年1月の初飛来や、常駐化後の1968年11月に起きたB52墜落爆発事故後と、その後のゼネストの挫折が大衆運動に与えた影響に焦点が集まる一方、飛来の原因や、1970年9月の撤去に至るまでの過程、1972年の復帰後の大量飛来については言及が少ない。また、復帰運動を牽引した復帰協や教職員会、全軍労などの組織が分析対象として扱われることが多い。しかし、今も続く基地問題について考えるためには、地域的な状況の違いについても検討する必要があると考える。本報告では、B52の駐機場に隣接していた嘉手納村に焦点を当て、B52の常駐化が住民運動に与えた影響と、それに対しUSCAR(米国民政府)がどのような干渉を行っていたかを、新聞、沖縄県祖国復帰協議会文書、USCAR渉外局文書などから明らかにしたい。また、B52の常駐化のきっかけとなった、朝鮮半島情勢についても検討したい。
▼「基地のフェンスを越える実践――反戦米兵と沖縄/アメリカの反戦・反基地運動の出会い」
・報告者: 大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
【概要】
本報告は、1960年代末期から1970年代初頭の沖縄において生まれた、沖縄の反戦・反基地運動と反戦米兵、アメリカの反戦活動家たちとのコンフリクトをはらんだ出会いを考察し、「越境」する運動の意義と作用を分析する。1960年代後半、沖縄の復帰運動や反基地闘争は、北ベトナムへの爆撃やB52常駐化、日米両政府による返還交渉の「進展」などを契機として、自らの加害者性を意識した「反戦復帰」路線へと質的転換を遂げたといわれる。ベトナム戦争の激化は、一方で、基地のなかに反戦・反基地の実践と思想を生み出した。それらはフェンスをにじみ出てその外の反基地運動と結びつき始めていた。その中心は黒人兵たちである。沖縄の日本「復帰」への流れが加速化するなかで、密かに進んでいた黒人兵と沖縄人との邂逅と軍事システムへの怒りの共鳴、それを仲介した日本「本土」やアメリカの活動家たち。「反基地」の意味を具体的な社会関係のレベルで問い返し、深め、軍事化に抗したこの越境的な実践には、長く厚い沖縄の運動史において、いかなる意義があるのか、共に考えたい。
■〈社会運動〉研究会
http://socialmove.exblog.jp/
■お問い合わせ
mitsuakick(at)hotmail.com
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by socialmovement
| 2012-11-21 12:41
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